■イベントレポート- 10月22日(土)
  ケンタロー × 山口コーイチ
  息をするような音楽へ

 
山口は複雑な音をシンプルに鳴らす
山口コーイチは初めてカテゴライズできない演奏家であった。というのは、大抵の演奏を聞いていると、どんな音楽に影響を受けているか、または、どのように今自分を表現しようとしているか読めるのであるが、、山口のは、どこかが違う印象を受けた。
山口コーイチはぼつりぼつりと語った。「僕は、音楽家というのは、人を感動させなければならないものだと思っていた‥。舞台に立つ者と観客との間には明確な隔たりがあるべきだとも思っていた‥。」
 
 
人に見せない作品を作ったデュシャンという芸術家がいた。または、人にうまく見せようとする意識を取り払うためにひたすら早く何枚も絵を書く画家もいる。 山口は舞台に立ちながらも無理にうまく見せたり、無理に観客を喜ばせるような演奏ではなく、自分とそしてケンタローとの会話に没頭することにある時に決意したのだろう。
数年前に私の恩師の奥様が病床で音楽を聞いていて、「一生懸命な音楽は疲れる。へたくそな音楽はいいね。」と言って数日後この世を去ったことが思い出された。
 
山口は複雑な音をシンプルに鳴らす
また、カラヤンのように派手な身ぶりで、原曲をアレンジしてしまうのが指揮者であると思われていた時代、指揮者の岩城が札幌フィルに完全に楽譜通りに弾かせて、原曲の透明感を獲得していって、札幌フィルを世界のフィルとしたことも頭をよぎった。
あえてうまく見せない弾き方にはとてつもない鍛練と才能が必要なのだ。

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