2005年秋「かわさき現代彫刻展」の事務局は川崎ファクトリーが担うことになった。2004年のCa-Fe Auman以来活動を拡大してきた川崎ファクトリーはその年のカフェは川崎ファクトリーの1階でライブカフェを開催することとした。そこにはグランドピアノ、照明、音響設備が備えられており、音楽の他、ダンス、落語、朗読、対談、映像とライブの巾と内容がさらに充実していった。

永井朋生(Drums Percussion)
  静岡生まれ。大学在学中よりジャズをはじめ、現在、自身のピアノトリオやポエトリーリーディングのバンドFLIGHT OF IDEA、ピアノとのDUOあふぷやんなどで都内のライブハウスを中心に活動中。また自分の使う楽器を自分で造ったりもしている。

山口コーイチ(Piano 作曲・編曲)
  国立音楽大学卒。在学中からプロとしての活動を始めた。吉田一夫(Fl)とのデュオによるデビュー作「4h-1t」はジャズライフ誌レビューにて「世界でもまれにみる音響」と絶賛される。現在まで自己のトリオの他、様々なバンドに参加しジャズと即興演奏を中心に東京を中心に活動している。ニューヨークやパリ等の海外でも演奏活動を続け、今年2005年、春にはインドネシア国立芸術大学に招聘されインドネシアツアーを行った。現地の伝統音楽とのコラボレーション、芸大でのワークショップ等も行い大好評を博した。佐藤美紀とのコンテンポラリーダンスによる即興のワークショップ、岩下徹(山海塾)の舞踏のワークショップ等々、他分野との交流も深い。

海道雄高(Contrabass)
  武蔵野美術大学在学中ジャズ研究会でべースを独学で始める。1996年よりジャズクラブ等での演奏を開始。松野茂氏に師事しクラシックの奏法を学ぶ。現在、数多くのセッション、レコーディングに参加する傍ら、即興のソロ・パフォーマンスも積極的に行っている。

川崎ファクトリー
  2002年3月渡辺治建築都市設計事務所は、元の事務所があった中原区の元住吉ブレーメン商店街から南下し、ここに拠点を移した。それからしばらくして、1階は山本耕一郎を中心とする芸術家たちの活動の場ともなった。

Ca-Fe Auman カフェアウマン  
  2004.09.27-12.17の「かわさき現代彫刻展」の開催期間中の土日祝日にTHINK(テクノハブイノベーションかわさき)の中にある「アウマンの家」で渡辺治、山本耕一郎らの芸術家によってカフェが運営されました。その時の呼びかけに応じたのが音楽家スズキケンタローでした。スズキケンタローは現代音楽家、ジャズ演奏家、クラシック演奏家の仲間を集めて毎週演奏を行いました。それはこれまでの演奏会ではなく、新しい音を探し出す試みで「音楽実験室」と名付けられました。そこには、毎週音楽を愛する人たちが訪れ、ここで演奏をしたいという演奏家も現れ、オペラ、琵琶、クラシックギター、チェロ、子供の楽器づくりワークショップ、空手道場、舞台劇、ビデオアート、 臨港ツアー、そして円覚寺の住職さんによる説法まで行われるようになり、最初はゼロ人の来客だったカフェアウマンも最終日は60人もの閉店を惜しむ人がかけつけるにいたりました。

平成電線電纜  
  2004年のCa-Fe Aumanが終了した後、オペラ歌手の上杉麻子から「テレフォン」というオペレッタをやりたいからと川崎ファクトリーに申し入れがあり、それを受けて、山本耕一郎、スズキケンタロー、山田よしき、川崎ファクトリーの面々が電話をテーマとした公演を行うことになった。公演名は川崎ファクトリーの近辺に本拠地を構える電線会社「昭和電線電纜」から名前を拝借された。そこでは、芸術家、役者、音楽家によるコラボレーションが行われ、密度の濃い公演が完成された。通常のイベントは、終わってしまうと何も残さない。しかし、Ca-Fe Aumanはそこで知り合った人たちによる新しい芸術作品を創るに至った。この公演により、川崎ファクトリーは一つの方向性を得ることになる。

発明王  
  「平成電線電纜」の後、今度は山本耕一郎と山田よしきが先頭に立って再度新しい公演が企画された。東芝の創設者である田中久重からヒントを得て、発明家や地元の東芝をテーマとした公演。ここでは、ダンスや落語が新しく導入され、自由な表現と縦横無尽の展開を持つ演劇が創られた。

クリスマス夢企画  
  「かわさき現代彫刻展2005」年の開催場所は、JFEの中だけでは限界があるとして、その敷地の周辺の元消防署の敷地、トンネル、廃墟ビル、鉄工所などのオーナーを説得し展示場所として、その瞬間から、彫刻展は単なる展示ではなく、まちの中でのゲリラ的展示行為の様相を呈していく。
その終着点として2005年春に廃校となった旧県立川崎南高校の校舎を使わせてもらうことがひとつの目標となった。しかし、現在所有が神奈川県にあり、許可を受ける壁は厚かったが、川崎市の総合企画部の三浦部長や現在旧南高校を使用している川崎高校の岩村校長先生や川津教頭先生の絶大なる尽力により4回の公演を開くことができた。それが12月になったので、「クリスマス夢企画」と名付け、無料で来客を招待した。(当日、かかった経費に対するカンパが呼びかけられた)

Ca-Fe 南校  
  Ca-Fe 南校はContemporary Furure Education(現代芸術未来舎)の略称で、川崎ファクトリーが最もこだわっているプロジェクト。旧県立川崎南高校で現在THINK内で拠点を構える林海象映画監督や演劇界を代表する劇団ク・ナウカの演出家宮城聰らが南校に拠点を移し、それが文化の中心を形成していく、と同時に、地元の中学高校の生徒たちと映画や演劇づくりをしていく。こどもたちは世界の一流の芸術家から創造性を植え付けられ、育ち、同時に川崎の未来を創っていく。それが本来の「夢企画」の内容だった。
1900年の初頭に自分の夫から巨額の財産を受け継いだ女性がいた。彼女は、ロックフェラーやカーネギーのように自分の名前を誇らしげに残すことを望まず、どうやって財産を社会のために使ったらよいかを研究する財団を設立した。数年してできた報告書の第一番目には、「子どもの教育に使うべき。」とあった。子どもたちは未来を創ってくれる。だから、どんなに投資しても無駄ではないと言うのである。子どもにお金や物で残すのではなく、創造性を植え付ける。これが最もお金を社会のために有効に使うことであるというのが結論だった。